明治5年の銀座煉瓦街を最初につくろうと発案したのは誰なのか、実ははっきりとわかっていません。東京府知事由利公正と、大蔵大輔(府政を財政面で監督する立場)井上馨のそれぞれが、「自分こそが煉瓦街を発案した」という回想録を残しているからです。 ただし、きっかけとなったのが明治5年2月26日に銀座を襲った大火であったことはまちがいないようです。銀座煉瓦街の歴史にくわしい藤森照信先生(工学院大学教授)は、さまざまな資料を調べて、煉瓦街計画は由利公正ではなく、築地本願寺脇に住んでいた大隈重信と、井上をも含む周辺の面々が談論風発の中で考え出したものを、大隈と井上が正式に発議したものではないかと結論づけています。 火事からわずか二日後に道路改正が内定し、四日目には煉瓦化が決定し、六日目には布告されたということですから、今では考えられないスピードですね。 さて、煉瓦街計画の主な柱は、「街路計画」と「煉瓦造り … 続きを読む 銀座通りの幅はなぜ27mなのか
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