シンポジウム

慶應義塾大学 銀座研究 「旧木挽町の再発見 東銀座の将来像を考える - 学生たちの提案」

日時 2008年9月25日(木) 13時半 ~15時半
場所

銀座会議室 2階 (中央区銀座3-7-10 松屋アネックスビル)

出席者

約120名

主催

銀座街づくり会議

プログラム

研究発表「東銀座のリ・デザイン ―旧木挽町再発見」
慶應義塾大学小林研究室
小林博人(慶應義塾大学大学院准教授 小林・槇デザインワークショップ代表)
報告「旧木挽町とはどういう場所か」
岡本哲志 ( 岡本哲志都市建築研究所 )

概要

最初に、都市史研究家の岡本哲志さんから、「旧木挽町とはどういう場所か」というタイトルでお話がありました。400年前(江戸幕府が出来る前)からの木挽町の歴史をお話し下さいました。関東大震災後に幅の広い昭和通りができたことで、銀座と木挽町は遠くなってしまったこと。また晴海通りの拡幅も、木挽町の土地柄を分断してしまったのではないかと岡本さんは指摘します。この2つの通りをもっとヒューマンな空間にすれば、旧木挽町のアイデンティティがもっと出て来るのではないかと提案されました。
慶応義塾大学小林博人研究室のみなさんは、約1年半かけて東銀座を調査しました。何度も足を運び、「この街らしさとは何か」を調べ、街の人にインタビューも重ねたそうです。
そのうえで用途、空間を使っている人、路地空間の使われ方など、西と東を比較するなどの分析を行いました。さらに、東銀座の問題点として「地域アイデンティティが弱い」「劇場や料亭の衰退」「多様性や賑わいが少なくなっている」などがあげられ、ポテンシャルとしては「芸能文化の歴史がある」「メディア系産業の集積がある」ことがあげられました。
次に、この地域の独特の文化に着目し、その文化を活性化させることで街に賑わいをもたらすための提案が、木挽町通りに対してありました。それは(1)新たな看板的な役割をもつ空間をつくること、(2)野外劇場をつくる、(3)通りに開かれたオフィス空間をつくる、というものです。これらの提案の根拠が、歴史や調査をふまえて詳しく説明されました。
当日の出席者は、京橋四之部町会のみなさんをはじめ約120名。模型も見ながら、最後まで熱心に説明を聞いていました。アンケートでも「もっと木挽町の歴史を知りたい」といったご意見がありました。